5.ミッション

 午前中、石巻に行ったその日のボランティアは、小野市民センターという、200名くらい被災者がいるところでした。センターの館長さんから夕方6時くらいに演奏をしてほしいと言われました。最初のお話では、場所はロビーでということでしたが、あとで講堂に変更になりました。 講堂には150名以上の被災者が寝泊りしています。私は、「いいのだろうか、こんなところでやっても。静かに寝ていたい人もいるだろうに。」と心配になりました。ここはよくテレビで見るような、プライバシー保護のための高さのある仕切りなど無く、毛布を20cmほど積んでかろうじて隣の人との仕切りを作っていました。

 実は私は今回の震災ボランティアに行くにあたって、別に演奏はしなくても良いと思っていました。そもそも被災者の方々が音楽を聴けるような心境になっているのか疑問だったからです。彼らにとって音楽が薬になるのか毒になるのか、さっぱりわからなかったのです。でもTさんに、「楽器を持って行かずに後悔するより、持って行って後悔した方がいいですよ」と言われ、持って行くことにしたのです。それでも何を弾いたら良いかもさっぱりわからなかったので、念のために日本の曲、洋楽、ピアノ曲の譜面などファイル6つ分持って行きました。
 私は鍼やアロママッサージの施術をしている横で、BGM的に弾くことしか考えていませんでした。それなのに、こんな大きな講堂で、と言われ、急に緊張してきました。BGMにした方が良いのか、ちゃんとコンサートにした方が良いのか、音量はどのくらいにしたら良いのか、年配の方が多いからやはり懐かしい曲の方が良いのか・・・・・・・・。
 6時まで時間があったので、しばらくKちゃんのアロママッサージのお手伝いをすることにしました。すると繁子さんというおばちゃん(被災された方)が話しかけてきました。大きな身振り手振りを交えながら、常にハイテンションで明るくおしゃべりをしてきます。
「私、マンドリンをやってたんだけど、マンドリンが波乗り(津波で流されて)しちゃってね〜。あははは〜。そばにあった時はろくに練習しなかったんだけど、無くなってみると練習したくてね〜。人間って贅沢なものよね。あはははは〜。ここにも何か楽器があるといいんだけどね〜。」

   繁子さんによると、ここにはいろんなミュージシャンが時々来て演奏しているようでした。
「この間来た人はね、自作自演っていうの?ギター弾きながら歌うんだけど、全然知らない歌ばっかりなのよ。若い人はいいかも知れないけど私たちはね〜。やっぱり知ってる曲をやってほしいじゃない?演歌みたいなのとか、童謡とかね。でももう“ふるさと”って感じでもないのよ。」とおっしゃいます。
 実は私は、メドレーの最後に“ふるさと”を皆で歌ってもらおうかなと考えていたのですが、「それはボツだな」と思いました。

「一昨日はね、午前中に日本の自衛隊のブラスバンドが来て演奏して、午後からはアメリカのブラスバンドが来たの。私、音楽に対する考え方がここまで違うとは思わなかったわ。本当に全然違ったの。日本のは日本のでいいのよ。きちんと綺麗に聴かせる、っていう感じで。でもね、アメリカのは、本当に音を楽しむっていう感じだったの。知らない曲ばかりだったけど、演奏者が舞台から降りてきて私たちの手を取って踊ったりしてね、知らないうちに乗せられちゃったのよ。あういうの、いいわね。皆で楽しむっていう感じ。」
 うわ〜、どうしよう。益々ハードル高くなってきちゃったわ、と思ったのでした。
 こんなふうに雑談をしながら、なんとなく探りを入れていた私でした。

 何やら騒がしいので見に行くと、俳優の渡辺謙さんがいらしていました。突然受付に「渡辺です」と言って来たそうです。私はてっきり舞台の上でマイクを使ってしゃべるのかと思っていましたが、そうではなく、一人一人のところに行って静かにお話をされています。
 そして写真を撮ったりサインに応じたりしていました。ジーパンに紺色のトレーナー、同じく紺色のキャップをかぶり、リュックをかついで、言われなければ誰も謙さんだと気付かないくらい地味でした。
 そういえば、彼は以前、NHKの大河ドラマ「独眼流政宗」で伊達政宗を演じていたと思い出しました。きっとその時に地元の方々と交流があったのかもしれません。
「また来ますから」
とおっしゃって、静かに帰っていかれました。
 やはり芸能人はすごいですね。その存在だけでたくさんの人を元気付けちゃうんだから。

 5時半になって、夕飯の時間ということでお弁当が被災者に配られました。「今日はケーキも付いています」との放送もありました。
 謙さんが来たことと、夕飯を食べることで、場があたたまっているように見えました。やはりここではコンサート形式でやるべきだと判断し、私は約300曲の中から、急いでプログラムを組みました。

@花(喜納昌吉)
Aさくらさくら
BYou raise me up(荒川静香さんがトリノオリンピックで演じた曲)
C情熱大陸
D涙そうそう
E愛さんさん
F唱歌メドレー(花〜朧月夜〜茶摘)
G見上げてごらん夜の星を

そしてMCで話す内容もあらかじめ決めてメモをしました。これで流れはできました。繁子さんに言われたことを思い出していろいろ悩みましたが、結局私は私のできることしかできないんだ、と思いました。今すぐ陽気なアメリカ人のようにはなれないのですから。それから、歌なしのピアノだけでどれほど訴える力があるのかも疑問でしたが、やっぱり私は夏川りみにも美空ひばりにもなれるわけがないので、結局どこまでも自分であるしかないのだ、と思ったのです。
 そしてふと思いました。樋口先生は、私がどんな演奏をするのかご存知ないのに、私を信じてこのような場を与えてくださったということを。その先生の顔に泥を塗ってはいけないと。その日は樋口先生が私を迎えに来てくださることになっていました。先生が来て、舞台が盛り下がっていたら、先生に申し訳ない、絶対に盛り上げて、被災者の方々に喜んでもらわねばならぬ、これは“ミッション”だと思いました。
 私は精一杯心を込めて演奏し、お話をしました。“涙そうそう”を演奏していた時、ある男性が手拍子をし始めたらほかの方もつられて手拍子をし始めました。その男性は、今度は皆を煽るように指揮をし出しました。すると何となく会場全体が一つになっていくのがわかったのです。いい感じだ、と思いました。私は歌は歌えないけれど、きっと皆さんの心の中で夏川りみさんの歌が聴こえているんだ、と思いました。
 “唱歌メドレー”ではたくさんの方が歌ってくださいました。先ほどの男性も楽しそうに指揮をしてくれています。そして、
「最後に“見上げてごらん夜の星を”をお届けします」
と私が言うと、待ってましたとばかりに大きな拍手が起こり、大合唱になったのです。あ〜よかった、よかった、皆さんの顔がきらきらと輝いています。
 子供が冗談まじりに、
「アンコール、アンコール」
と言うと、それにつられてアンコールの声が大きくなっていきました。“荒城の月”をリクエストされました。リクエストしてくれたのは繁子さんでした。歌いたいという男性が舞台に上ってきて、彼の声に合わせて皆で歌いました。
 それからは会場中が歌う“モード”になってしまったようで、私が去った後もカラオケ大会のようになりました。といっても、カラオケはないので、アカペラに皆の手拍子付きなのですが。
 本当によかったと思いました。私の演奏は、皆さんの気持ちが上向きになるきっかけになったのかも知れません。被災者の方々の目がきらきらしている様子が嬉しくてたまりませんでした。


ミッション、無事完了!

1.私が見た被災地 2.被災地行きのきっかけ 3.初めての避難所と歯科医師の苦悩 4.石巻の惨状と次の避難所でのあたたかい交流 6.最後の夜 7.とにかく行動してみませんか?

体験談
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