2.被災地行きのきっかけ

今回の東日本大震災とそれによって引き起こされた原発の事故は、ここ名古屋ではどこか遠い場所での出来事という感覚がありながらも、私は毎日落ち着かない日々を過ごしていました。テレビ、新聞、インターネット、何を見ても現地の悲惨な状況を映すばかりで、どこか無力感を抱えてもいました。
 福島に住む友人は、ブログで辛い気持ちを吐露していたのですが、ある時彼女からメールが来て、「誰にでもできることがあるはず。何か考えて。」と書かれていました。その言葉に背中を押され、偶然が重なったこともあって、被災地に行ける状況があっという間に整ってしまい、私は行くことになりました。4月29日から5月3日までという、大変短い間ではありましたが。
 今回一緒に行ったのは、岡山の鍼灸師Tさん(40歳男性)、京都のアロマテラピストKちゃん(32歳女性)、長野の介護ヘルパーMさん(49歳女性)です。
 岡山のTさんが、患者さんが貸して下さった大きな車に支援物資を乗せて、京都、名古屋、長野と私たちをピックアップしてくれたのです。そして新潟を経由し、福島をかすめ、宮城県へ入りました。
 私たちを受け入れて下さったのは、宮城県宮城郡松島町の樋口秀吉(すごい名前ですよね)先生で、宮城県鍼灸師会会長をされている方です。先生のお宅も、地震のために一階の壁が全部落ちてしまい、ブルーシートや断熱シートで応急処置をしていました。玄関は扉が半分無くなっており、2階のトイレのドアもきちんと閉まらない状態でした。


 私たちは全て自己完結するつもりで、食べ物はカロリーメイトやウィダーインを持って行き、車中泊覚悟で寝袋を持参しました。
ボランティアとはそういうものだと思ったのです。でも樋口先生は、「車中泊は絶対やめてくれ」と言われ、私たちが夜遅く到着したにもかかわらず、部屋を用意してくださいました。結局4日間その部屋に泊まりました。そして、私たち女性3人は食事班を仰せつかったので、4日間の3食の食事作りをすることになりました。
 樋口先生は、ご自宅を鍼灸師のボランティアの中継基地として立ち上げようとされていましたので、山形、東京から来た鍼灸師さんたちも、それに向けての部屋の掃除、お風呂の薪割り、などをしました。年齢は様々で、30代〜70代くらいの方までいました。
 実は私たちはここで、かなり贅沢な食生活を送っていました。皆が持ち寄った食材や、敷地内や近所に生えている山菜や野草などが豊富にあったのです。そして、料理の上手なMさんとKちゃんのお蔭で、本当に毎食、恵まれた食生活だったのです。実はこのことがとても大切なことだったと後でわかるのですが。

1.私が見た被災地 3.初めての避難所と歯科医師の苦悩 4.石巻の惨状と次の避難所でのあたたかい交流 5.ミッション 6.最後の夜 7.とにかく行動してみませんか?

体験談
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